感動する作品『オナニーマスター黒沢』 考察・感想。
『オナニーマスター黒沢』 考察・感想
これは俺の人生に大きな影響を与えた作品。
高校一年の時にこの作品に出会い、それ以来人生の節目には見返して勇気をもらっている。
『オナニーマスター黒沢』は元々web漫画として連載されていたものが人気になり、作者公認でオーディオドラマ化されたり電子書籍化され今ではKindleでも読むことができる。(漫画版の表紙はあまり好きではない)
ストーリーを簡潔にまとめると
放課後の女子トイレで自慰行為をすることが日課の男子中学生黒沢がクラスメイトのいじめに向き合ったり恋愛をしたり、友情の大切さを身をもって感じ、人として成長する物語。
まだ読んでない人は
オーディオドラマ版を強く勧める。
作者公認で作成され、登場人物に声が入り、場面場面を盛り上げるBGMやOP、EDが入りアニメのように楽しめる。
多分俺も最初からマンガ読んでたらはまらなかったかも。
オーディオドラマ版見てOPやEDで感情揺さぶられながら見たから好きになったと思う。
何周したかわからないこの『オナニーマスター黒沢』をまた一気見したので考察をメモしていく。
要点としては
①主要キャラの成長
②黒沢と北原の対比
③つかまえ役とつかまえられ役。
④個人的に好きなセリフ(考察じゃない
それではいきます。考察は完璧に。それが僕のジャスティス。
主要キャラの成長
雨の日は放課後の図書室で黒沢と滝川マギステル(以下滝川)が話すのが日課になっている。滝川は明るく、だれとでも気さくに話すことのできる少女だが、そんな滝川も小学校の頃は休み時間にお絵かきしてるような暗い少女だと話される。
この時に黒沢が「人は変われる ただ、彼女は自分の意思で生まれ変わった」と心の中でつぶやいている。
自分はもうこの作品を何周もしているので「あー、終盤の黒沢のことか」って思いながら見ていたが、この発言がこの作品においてかなり重要な意味を持っていると感じた。
この物語は各キャラが自分の欠点を克服し
「自分の意思で生まれ変わる」ストーリー。主人公だけがうまくいく物語ではない。そこが良い。
あとは「扉を開ける」という表現が
「他者との関りを持つこと」
「自らの殻を破って成長」という二つの表現を持つところが重要かも。
各キャラの欠点+成長は以下に書く。
黒沢
「だれにどう思われようが構わない」と言っているがただの強がりだった、悪意の標的になることでやっと実感した。本当は人との繋がりを求めていた。(25話より)
25話、トイレで北原と会話するシーンで黒沢の心の底の考えがわかる。黒沢は本当は人と触れ合いたかった。だけど嫌われるのは怖かった。だから自分の妄想の中で他人と繋がった。「この狭い個室の中なら手の届かない人にも手が届いたよ」と言っており、人との繋がりを欲していたことが伺える。
ずっと他者との関りを放棄し、ぼっち生活をしていたが(黒沢は個室に閉じこもる、夢の世界と言っている)滝川の水彩画に書かれたSOS団でもう一度USJに行く現実を目指し、閉じこもるのをやめ、罰を受け入れることで自分から他者と関りを持とうとする。(黒沢は扉を開けると言っている)
女子トイレの扉を開け、北原と対面したり、体育の体操の時間に自分から長岡に「よろしくな」と言ったことからも成長していることがわかる。
滝川
人を許すことができない、言いたいことが言えない。
明るくだれとでも気さくに話すことのできる滝川だが、罪を告白した黒沢を許すことがなかなかできないでいる。(許してあげたい気持ちはあるけど話しかけることができない)
長岡と話し、黒沢も昔の自分みたいに前向きに変わろうと思っていることを知る。
図書室の扉を開け、黒沢に会いに行き、謝るチャンスを与える。
北原
一人では何もできない、周りからきっかけを与えられないと行動できない
一番欠点が大きい人物。最終回までずっと行動できないでいる。
いじめの復讐ですら黒沢に頼り切り。
ただ、黒沢が同窓会当日に迎えにきてくれることで行動を起こす。
高校も不登校で引きこもりだったが、家の扉を開け黒沢と二人で歩き、焼肉屋の扉も開ける。
扉を開けている数が多いから成長度も大きい??のかもしれない。
黒沢と北原の対比
終盤、自分の罪をクラスメイトの前で告白した黒沢は罰を受け入れ、自分を変えようと頑張るがある意味共犯者だった北原は変わらずいじめられている。
この
「変わった(変わろうとしている)黒沢」と
「変われない北原」という対比が終盤以降は強調される。
26話の二人の会話でも、北原が「わたしは黒沢君みたいにはなれない」と言っている。
この二人の関係性は、各々がしてきた恋愛の様子と似ている。
ただの恋愛対象として長岡に惹かれた北原。
恋愛対象としてだけではなく人としても滝川に惹かれた黒沢。
この2人の恋愛の違いがそのまま各々の成長に影響していることがわかる。
ただ、黒沢が一人で成長して突っ走るのではなく、北原も引き上げようとするのが良い。
「自分も扉を開けてすばらしい世界を見ることができた、だから北原にも感じてほしい」という流れ。
黒沢から見た北原はただの共犯者ではなく、何かと気にかかる存在だった。
体操服を一緒に探したり、修学旅行の帰りの新幹線で北原の人生がより良くなる方法を提案したり、同窓会に迎えに行ったり。
北原からしてもずっと自分を支えてくれた存在だった。だから最後は黒沢のことを信じて家の扉、焼肉屋の扉を開けてくれたのかもしれない。
つかまえ役とつかまえられ役
考察というか疑問点。
捕まえ役と捕まえられ役。知らない人はわからないと思うがおそらくは「ライ麦畑でつかまえて(以下ライ麦)」のオマージュ。
小説化された際のタイトルも「キャッチャー・イン・ザ・トイレット」である。
ちなみにライ麦畑でつかまえての原題は「キャッチャー・イン・ザ・ライ」
「つかまえ役になりたい」というセリフもライ麦にそのまま出てくる。
「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」
ただ、少し意味合いが変わってくる。
ライ麦では「つかまえ役」というセリフは「弱者を助ける存在になりたい」という意味合いが強い。言ってる本人は何もできない弱者なのだが。
ただ北原は弱者を助ける存在ではない。むしろ弱者そのもの。
オナニーマスター黒沢では「つかまえ役」という表現は2種類出てきており、
最初は女子トイレの扉越しに北原が「女子トイレのつかまえ役になりたい」
もう一方は最終話で黒沢が「今度は僕がつかまえ役だ」と言っている。
後者のセリフは意味が通る。成長した黒沢が弱者である北原に手を差し伸べてあげたい、助けてあげたいという気持ちが出ており、ライ麦と同じ意味でのつかまえ役になる。
しかし、北原のセリフは意味が通らない。
だが、ライ麦の考察を漁っていたらこんな考察があった。
happyendsyndrome.blog59.fc2.com
「小さな子供たちを救うキャッチャーになりたい」と語るホールデン少年が、
その小さな子供(妹のフィービー)にキャッチされる、というところです。
この意味を考えるとオナニーマスター黒沢でも意味が通じてくる。
最初は北原が黒沢の弱みを握った状態(最初は黒沢が相対的に弱者)だが、
弱者を助けたいと思っている本人自体は何もできず、最終的にはそのつかまえられ役だった黒沢が成長し、逆につかまえ役になって北原をキャッチする(助ける)物語。
個人的に好きなセリフ
考察じゃないけどどうしても書きたかったんです。
この作品、かっこいいセリフ多すぎる。
①「後始末は完璧に。それが僕のジャスティス。」
中学卒業後、北原を気にかけている際出たセリフ。
1話冒頭で壁にかかった精液を処理しながら言った「証拠隠滅は完璧に。それが僕のジャスティス。」とかかっている。
序盤で言ったセリフを終盤で言う盛り上げ方が好き。はがれんでもあったけど。
②「扉越しに話すのは慣れてますから。」
北原の母が北原はひきこもっているから話に応じてくれないかもしれないと言った際の黒沢の返答。
黒沢と北原の長い付き合いを感じさせる。
やっぱ対比とかが好き。そのシーンだけ深いこと言ってるとか、Twitterでバズるようなセリフだけじゃなくてその作品でそのキャラが言うから盛り上がるセリフがいい。
まとめ
オナニーマスター黒沢、ほんと最高。
周回するたびに発見がある。
オーディオドラマ版で見てね。